予想番付研究

 番付予想の精度を高めるためには、一定の運用ルールをつかむことが重要だ。実例をもとに傾向と対策を伝授する参考書を目指す。”番付予想偏差値10Pアップ”をお約束できるものにしたい。

 まずは各場所予想番付のページにて取り上げた「予想のポイント」で取り上げたものから放り込み、並行して基本となる事項や過去の”重要判例”も追加し、項目が増えてきたら体系的に整理していきたい。


定数に関すること

小結の定数

  レベル2、ブレ2

 近年、関脇、小結の定数各2名が厳格化している。東西両関脇が勝ち越した場所で大関から陥落してきたり、小結や平幕上位でかなり大勝ちをした力士がいる場合を除いては、関脇や小結を3人以上にしない運用が続いている。

 関脇の定数についての運用は、「昇進に関すること」の中で「関脇の昇進基準」という項を作って触れようと思うので、ここでは主に小結の定数について述べる。

 

小結3人以上は、今世紀に1場所だけ   

 最近の運用では、小結が定数を超えて3人以上になることはほぼない。関脇は上記のケースで3名になることがたまにあるが、小結が定数を超えたのは、18年11月が最後(平成30年1月現在)。その前6年間も小結は2名で固定されていた。

 例外となった18年11月は、筆頭で10勝の露鵬と3枚目で11勝の安美錦が、三役力士は全員勝越して三役の枠は空きがなかったものの、さすがにこの成績で平幕据え置きは気の毒と思ったのか、珍しく枠を拡げて4小結となった。

   

   平成初期までは、筆頭や2枚目で9勝すれば張出を作ってでも昇進させており、8勝でも枠を拡げて上げることもあった(昭和30年代には3、4枚目の9勝で張り出されたこともあった)が、二桁勝っていない力士のために3人目の小結を設けるのは11年3月の魁皇が最後。

 

 今世紀に入ったあたりから定数厳守が優先され、西筆頭9番栃ノ心、2枚目10勝の琴奨菊、3枚目10勝の出島と厳しすぎる見送りもあった。栃ノ心は長期休場を乗り越えて幕下下位からの、元大関出島は4年ぶりの三役復活を期待されたが、苦労人にも容赦なし。29年11月に3枚目で11勝の北勝富士も筆頭どまりで、これは11勝した平幕力士が三役昇進を見送られた最高位となる。前述の例外にあたる安美錦の昇進の例は維持されなかったわけで、さらに定数が厳格化されている(この場所は横綱の引退、3関脇の解消もあって役力士の枠を維持しようという動きがあるかと予想したが、全くなかった)。

 中位で12勝した力士にもつれなく、最上位では5枚目黒海、そして7枚目旭天鵬も、昭和36年の佐田の山以来となる優勝後の平幕据え置きで三役復帰ならず。

 

上がり優先の時代 ー関脇7−8で平幕陥落も

 平成初期は元気な若手が多く、平幕上位で好成績者が続出。張出を設けていても、関脇の7勝8敗でも平幕に落とされるのが珍しくないほどだった。この運用は平成5年1月の安芸ノ島以来なくなり(むしろ大した昇進候補がいなければ連続在位中の豪栄道のように西に回って陥落を免れることもある)、平成11年11月には平幕上位で大勝ちした2人と関脇で7勝の土佐ノ海は3小結として共存しているが、以降3小結は、12年3月に幕尻優勝貴闘力を翌場所3人目の小結に据えて以来途絶えた。

   

 平成29年5月は3関脇2小結だったが、高安が大関に昇進し小結〜平幕上位に大勝ちの力士はいないので、2関脇2小結に戻るのは間違いないが、もし髙安が8,9勝で大関に昇進しなければ、琴奨菊(関脇7-8)は小結3人目として残れたかどうかは気になるところだ。というのも、小結が2名の定員を超えたのは今世紀に入って1度きり。かといって関脇で7勝の力士が平幕に落とす運用も四半世紀近くしていない。どちらが優先するのか気になった。

 

   現在の編成を予想すると、18年11月の4小結は例外ではなく前例として生きているなら、小結の定数増は絶対不可でない。筆頭10勝、3枚目11勝はOKで、筆頭9勝や2枚目10勝はダメという厳しい条件だ。他に関脇小結が埋まっている状態での関脇7-8力士の扱い、旭天鵬以上に好成績で平幕優勝した中位力士の扱いは、定数枠が厳格化されて以降例がなく、不明。ただ、あくまでこうした前例は参考程度なのが番付編成。急に変わることもある。数字だけでなく相撲ぶりから三役力士として務まるかを判断するために審判部が編成しているのだ。微妙な場合はそれも考慮することになるだろう。

2 三役の定数

     レベル2、ブレ2

  三役の定数が増える場合 ー安定性の問題

   先に小結の定数を取り上げた。しかし、三役の枠が広がるのは、小結の定数を増やす時ばかりではない。平幕からいきなり関脇3番手に上げるかもしれないし、小結で勝ち越した力士を関脇3番手、4番手にして、平幕から補充するケースもありうる。大関昇進者が出て、関脇小結の数に変動ない場合も三役の枠は広がることになる。

 役力士が増えればめでたいが、番付の編成上はややこしいことになる。平時の番付制度では、勝越して上がる、負け越して下がるは絶対だが(据え置きはありうる。)、その基準となるのは、相対的な順位ではなくあくまで番付の絶対値。例えば役力士が前の場所より2人増えれば、前頭筆頭は前場所の2枚目の位置づけになる。東2枚目で勝越した力士が西筆頭になれば、番付は上がったことになるが、相対的には下がっていることになる。

   また、幕内の定員が固定なので、役力士が増えると前頭の合計枚数は減る。幕内最下位が西17枚目だったのが翌場所は西16枚目になったりする。こうなると、西16枚目で7勝8敗だった力士は幕尻に残れる星だが、翌場所17枚目はないので十両に落ちるべき力士になる。役力士が2人増えるだけなら、番付据置きという手が使えるが、もし3人以上増えると西16枚目もなくなり陥落必至。昇進候補がいれば不運で済むが、落とさなくてもよい力士を落として、空き枠に無理やり昇進力士を作ることになりかねない。なので、急激な役力士増加には審判部も慎重になる(推論)。一番安定性を保てるのは、各地位の枠を厳守することだ(大関昇進においては、当然昇進問題の重要性の方が高いので、三役の総枠云々の議論は二の次になる)。

 

どちらの運用が公平か

     関脇小結の総枠がほぼ固定されている今の運用は、ある意味公平ではある。毎場所張出を作ったり無くしたりで総枠が流動的だった昭和年代でも、筆頭で勝ち越しながらの見送りはあった。全体の数は少ないが、旭国や蔵間は2度も経験している。昇進のチャンスが多いのは良いが、枠を拡げてもらえるという期待感がある分、上がれない時の不公平感は今よりも強かったかもしれない。審判部のさじ加減で決まるのだから。

   一方で、現在の厳格な枠の運用であっても、枠が埋まっていなければ甘い昇進はあり得る。むしろ関脇小結が常に4名しかいない分、定数に遊びがないので、負け越した力士の数だけ枠が空く。役力士が少ないので平幕上位は横綱大関総当たりで勝ち越しは難しく、上位戦のない5枚目あたりから無理に上げてくるしかない。こうなると、平幕上位で6~9番を続ける地力のある力士が厳しい見送りを食っているうちに上位戦で疲弊して三役になれずに終わり、上位に全く通じない力士が運に恵まれ生涯一度の思い出三役、といったことになりやすい。最高位と実力がリンクしにくくなる。多くの幕内力士がキャリアハイを迎える平幕上位から三役の間。元関脇、元小結、元幕内、その差は引退後のキャリアも少なからず影響する。できるだけ成績に見合った処遇をする方が納得感は高まるだろう。

 

   そういう意味では、昭和末期から平成初期までの運用は合理的だ。一応定数は守ろうとするが、平幕上位の勝ち越しは、張出を作ったり、7勝の関脇を平幕に落としてでも積極的に上げる。不当に最高位を低く抑えられる力士は少なくなる。事実、昭和56年の蔵間以降平成8年の土佐ノ海まで、前頭筆頭で勝ち越して三役に上がれなかった力士はいない。

 

予想のポイント

   予想の観点でポイントを整理すると、例外的なケースを除いて関脇小結は2名ずつにしようとするので、一度定数を超えても変動のタイミングで戻す。埋まっている状態では、それぞれの例外的な昇進基準をクリアしない限り定数は増やさない。厳格運用されることを前提に考えるべきだ。

   昇進基準については、「昇進に関すること」で整理する。

昇進に関すること

1 関脇の昇進基準

  レベル2ブレ2 ※H29-7 

関脇の昇進基準を考察する

 関脇は、横綱、大関に次ぐ地位ながら昇進基準はない。必ず2人以上置くことになっているため、空席ならどうにかして埋めないといけない。小結で勝越す必要もなく、平幕8勝で新三役が関脇というケースもある。なので昇進基準を議論しようがないとも言えるが、ここで取り上げたいのは、例外的な編成が行われたケース。①関脇2人がいるのに3人目を作って昇進させたケースからは、どうしても昇進させるべきと考えられている成績が、②関脇で1点負け越しながら残留したケースでは、本来関脇昇進に相当しないと判断させる成績が割り出せるはずだ。また、関脇が完全に空いてしまった場合に③昇進できる番付の下限はあるのかについても考察したい。

 

①−1小結で11勝なら必ず昇進

 過去の例を洗い出すと、小結で10勝しながら留め置かれたケースは相当数ある。関脇が詰まっていたら無理には上げない成績と見られているらしい。ただ、小結で11勝以上して関脇に上がれなかった例はなく、関脇が詰まっていても張出を作ってでも昇進させている。関脇小結の定員に厳しい近年でも数例ある(鶴竜、栃煌山)。この1勝の違いが如実に現れたのが平成2年初場所で、前場所小結で11勝の水戸泉は張出関脇に、10勝の霧島は小結のままだった。霧島は腐らずに翌場所は11勝で関脇に上がり、その翌場所は大関となった。

 

①−2 小結で連続10勝も昇進?

 こちらは断定できないが、小結で連続10勝なら張出を作ってでも関脇にするのではないかという「説」だ。そもそも連続で10勝5敗が他に安馬のみ(空きが出来て西関脇に昇進)だが、昭和60年の北尾は、関脇の保志、大乃国が勝ち越す中で10勝したが据え置き。翌場所も両関脇が勝ち越して北尾も同じく10勝だったが、今度は関脇に昇進した。ちなみに1場所目は小結を埋める候補が不足していたことはあるが、西9で11勝の出羽の花を上げており、東10で同じく11勝の水戸泉も上げていても変ではない。2場所目は西3枚目で8勝の小錦を上げているので、こちらも無理に小結にしなくてよい星だから、今度はあえて北尾を関脇にしているのである。さすがに2場所続けて二桁勝って据え置きは気の毒と考えたのか、それとも翌場所も二桁勝つようだと関脇を飛ばして大関昇進になることを考えたのか。

 余談ながら、小結で連続10勝といえば武蔵山がいる。11日制、隔場所番付編成の時代であり、こちらは10勝1敗なので優勝もしているが、めぐり合わせでその翌場所も小結で出場。関脇を飛ばして大関昇進を果たしている。

 

①−3 平幕からは空きがなければ無理?

 →筆頭11勝でも微妙。平幕上位の優勝者なら?

 では、平幕力士でも好成績なら関脇昇進相当と考えられている成績はあるのだろうか。平幕力士が張出関脇に昇進した(つまり枠を広げてでも昇進させた)のは、平成以降では1,2枚目で11〜13勝の4例があるのみ。9年名古屋で11勝した貴闘力が最後だ。昭和に遡っても、恒常的に関脇・小結が3人以上いた昭和30年代を除くと意外に少ない(両関脇が埋まっているケースが少ないこともあるが)。3関脇は例外扱いの近年では、平幕力士に関脇確実の成績はないのかもしれない。

 一方で筆頭水戸泉、4枚目若三杉、高見山と平幕優勝者の名前が挙がっており、上位での平幕優勝は張出を作っても関脇に昇進すべきと考えられていたようだ。近々平幕上位で優勝する力士が出た時に関脇が埋まっていれば、どういう結果になるのか気になるが...

 30年初場所では、関脇の空きが1つに対して、西小結が8勝、前場所東西の筆頭が11勝、と候補が乱立したが、東筆頭が関脇を射止めた。大勝ちすれば小結を逆転できるが、枠を増やすほどの材料にはならないようだ。

 

② 関脇が負け越して残留した際の昇進見送り

 →ブレあるが東2枚目8勝で見送りも。

   かなり珍しい例だが、最近では豪栄道が史上最長の連続関脇在位記録を作った際、2度勝ち越せなかったのに残留している。そこまでして関脇に上げたくなかった成績とはどんなものだったのか。

   直近の25年夏は、関脇以下役力士が全滅。筆頭11番の妙義龍が関脇昇進はいいとして、4枚目まで他は負け越し。東西の5枚目が8勝。西6の9勝、東8の10勝までが候補となる。結果東5の松鳳山と東8の時天空が三役昇進となった。惜しくも筆頭に西6の豪風、西5の高安。この4人の並びが妥当かはともかく、この4名の成績は小結まではあっても関脇には不十分、それならこの地位で7番勝つ豪栄道に軍配が上がるらしい。

   ひとつ前の24年名古屋では、やはり小結で勝越しの妙義龍が関脇に。2枚目8勝と4枚目9勝、7枚目10勝、8枚目11勝あたりが次候補になるが、結果は東2碧山と東4栃ノ心が小結へ。関脇には届かないとの判断だった。

   次は9年九州に遡る。やはり関脇以下が全滅。昇進候補は西3と東4の8勝がいたが、東6で11勝の武双山が一気に東関脇へ。東関脇で7勝だった栃東が西に回り、上記の2人は小結となった。昭和50年代にも2例あるが、いずれも三役昇進候補が枯渇した状況で、4,5枚目の8番や中位の10勝程度で関脇にするよりは、という判断で7勝の関脇を据え置いたもの。滅多にない例だが、運用としては生きている。

   一番惜しいのは碧山だが、東2で8勝は、常に東関脇の7勝に劣るわけではない。昭和40年代に、西2で8勝の長谷川は関脇貴ノ花を小結に落として関脇に昇進している。2枚目8勝は判断が分かれるところらしい。なお、筆頭で勝越した力士を抑えて関脇で負け越した力士が上になった例はない。

   このように、平幕上位でも8勝程度では関脇に上げたくないようで、中位の大勝ちもできれば上げたくなさそうだ。

 

③ー1 関脇に昇進できる番付の下限

 →なし。幕尻からでも可能性あり

 昭和以降では新入幕で14勝した清国の東13枚目が、翌場所関脇に昇進した下限。これに次ぐのが東10で13勝逸ノ城、西9で13勝琴光喜と平成の記録が続く。昭和39年初場所は関脇から平幕上位、中位までが負け越しばかりで、関脇の空きが出たのに前頭8枚目以上の勝ち越しは4枚目8勝明武谷、7枚目9勝廣川だけ。10枚目で13勝した北の冨士もこの時代なら張出関脇でおかしくなかったが、三役昇進候補が少なすぎ、廣川を上げるのも...となって小結に置かれた感がある。この場所の幕尻は東15枚目だから、もし清国が幕尻でも関脇になっていただろう。よって下限というのはなかったと考えられる。

   逸ノ城はそれ以来の前頭二桁から関脇に上がったレアケースだが、西関脇7勝8敗の豪風を残したり、5枚目10勝の勢を上にしようとはしなかったことから、やはり何枚目以下からの特進は許さないというのはなさそう。

 

 ③ー2  大勝ち以外での下限

 →なし(実例では、8勝で西4、9勝で東6が最下限)

    8勝で関脇に昇進した一番下の番付は、62年秋で西4枚目だった逆鉾。ところがこの時、一枚下の西5で同部屋の陣岳が9勝している。普通なら陣岳が追い抜いて上位に行くところだが、追い越さずに小結に留まった。ちなみに9勝で関脇昇進の下限は、27年初場所東6の隠岐の海。この場所も関脇小結以下壊滅状態で、他に手立てはなかった(6勝の関脇、7勝の小結は適当な昇進者がいなくても落とすという前例になりうる。これは9勝で関脇に上がった番付の下限を半世紀ぶりに更新する珍現象だった。)

   なので、陣岳の成績は当時の9勝昇進の下限ではあったものの、他に候補がいなければ昇進していただろう。おそらく、2大関と対戦し2敗の陣岳と、3横綱4大関総当たりで千代の富士を破って殊勲賞の逆鉾とでは、単純に勝ち星と番付の関係だけで判断できないとなったのだろう。勝星は弱くても番付上位が優先される例は、幕内や十両昇進の際に十両、幕下上位が詰まった時にも起きる現象で、番付編成会議で審判部の裁量が発揮されるところ。したがって、特に番付の下限に当たったからというわけではなさそうだ。

2 幕内昇進

東西・張出などに関すること

1 昇進力士の位置<横綱・大関編>

 レベル1ブレ1 ※H29ー7

現在は、昇進力士は必ず最下位に

 横綱や大関が誕生した場合、その力士はどの位置に据えられるのだろうか。

 結論から言うと、近年は無条件に最下位に置かれている。近年の横綱昇進時を例に出してみよう。共に全勝優勝で1人横綱時代を打破した白鵬、日馬富士は、どちらも西横綱からスタート。14勝の優勝で昇進した新横綱鶴竜は、12勝の白鵬、日馬富士に続く東の2番目に。同じく14勝の優勝で昇進した新横綱稀勢の里は、中盤戦で途中休場した鶴竜と日馬富士よりも後の西2番目。

 

かつてはケース・バイ・ケース

 それも理屈ではあるが、ずっとそうだったわけではない。4人目の横綱となった武蔵丸は、全休貴乃花、途中休場若乃花よりは上に出て、皆勤11勝の曙に続く西の正横綱。12勝で何とか昇進の若乃花は10勝どまりの2横綱に東西の正位を譲って東2番目だったが、30連勝で昇進した貴乃花は、やはり10勝の曙を押しのけていきなり東正位に座った。14勝で連覇した旭富士は、全休大乃国と10勝北勝海より上で12勝の千代の富士に次ぐ西正横綱だ。勝越していない横綱よりは上位に来ることになっている。そして10勝5敗よりも上に行くらしい。若乃花のみ10勝5敗よりも下に置かれたが、星の差が少ないことが影響しているかもしれない。

 傾向が代わったのは、15年3月の朝青龍の昇進時。東横綱武蔵丸は全休していたが、引退した貴乃花に変わって西横綱となった。以降すべて最下位に置く運用だ。

 大関も同じで、優勝して上がった照ノ富士でも負け越しの琴奨菊より下位。14勝の把瑠都も最下位だった。新大関が最下位でなかったのは、12年に魁皇が、負け越した雅山より上位の東2番目となったのが最後。14年1月に昇進した栃東は、公傷全休の千代大海より下位の西2番目。意外だったが、理由は全くわからない。そして、この場所は意外な配置となった2大関がその場所の決定戦を戦い、それで縁起を担いだわけでもないだろうが、以降新大関はすべて一番下からのスタートとなる。

 

予想のポイント

 なぜ変わったのかはわからないが、平成14年以降の15年にわたり例外なく運用されており、新横綱・新大関は既存の横綱・大関の成績に関わらず一番下に置かれると予想してよいだろう。

 

2 単独の張出、東?西?

レベル1ブレ2

基本的に東→西→東の順

 ある地位の役力士が3名以上のときは、前場所の成績が優秀もしくは地位が上位の者から東、西の正位、次いで東、西の張出(現在は張出制度はないが、便宜上、東の2番目の横綱のことを張出と記載する)に置かれる。そのうち、奇数の場合は、東の張出だけがいて、西はいないといったこともあり得る。しかし、常に東が埋まるかというとそうでもない。
  たとえば、3横綱3大関の場合だと、張出横綱は東、張出大関は西、(関脇、小結も順に同様)と交互に配置する。上から東ばかり詰めていると、東西で力士数に不均衡が生じるからだ。
  ただし、これはあくまで張出の運用に限ったことで、平幕力士が奇数で幕尻が1人になる場合は、必ず東になる。平幕が奇数ということは、三役も奇数で必ず東張出が多くなっているはずなので、幕内全体で東の方が2人多くなることになるが、これは気にしないらしい。
1横綱の場合はどちらから?
 1横綱の場合も同様であるが、平成16年に朝青龍が1人横綱を張っていた頃は、横綱が東にいるのは数えず、張出大関は東から、張出関脇以下はそれと交互にという運用だった。なので1横綱3大関、の時など、太い字で書かれる横綱、大関が各1人分東が多くなるので、西に比べて東の力士の字の小さいことが明らかで、違和感があった。そのせいかわからないが、17年には西から順に張り出すようになっている。急に運用が代わって予想が外れた記憶がある。白鵬の1人横綱時代にもそれが踏襲されている。
 大昔の東西制の時代に遡ると東西の概念が今とは違うので上記の限りでない。
  最近の傾向を把握していれば外すところではない。

昇降に関すること

1.三役力士の扱い

①関脇0勝

→かつてはやや優遇も、現在は前頭二桁落ち覚悟

 29年九州場所で大関復帰を狙った関脇照ノ富士だが、一つも勝てずに休場。このように故障で陥落した元大関が全休するのは琴風、雅山の例があるが、関脇で一つも勝ち星を挙げなかった場合、当然大きく番付は下がるにしても、役力士として若干の緩和はされるのだろうか。

   直近では、隠岐の海や妙義龍が関脇で全休し、10、11枚目まで転落。三役も普通の枚数として数えるならば、10枚以上の下落であり、あまり容赦はない。平成10年代には3例あるが、いずれも前頭一桁で留まった。6枚目というのも2例あり、当時はやや優遇されている様子だ。

   戦後すぐの頃は、平幕上位に留まるのはザラで、千代の山などは前頭筆頭である。事例は多くないが、徐々に落ち幅が大きくなり、琴風が戦後初めて一気に前頭二桁まで落とされた(3連敗で引退)。公傷制度もなくなった現在、元大関や、三役に定着していた大関候補が、たった2場所休んで十両落ちすることもあり得る。結果が全ての世界とは言え、せめて翌場所は大負けしても陥落しない位置くらいに置いてやる配慮があってもいいと思う。

②小結で大負け

→やや優遇あり、平幕同成績よりも落ちにくい

   役力士が負越して転落する場合、どの程度落とされるのか。一般的に勝ち越し負け越し数が昇降する番付数と一致するのが目安と言われるが、小結は前頭0枚目と考えて編成しているのか。

 小結で4勝の場合、意外にも翌場所の番付はブレが少ない。かなり遡っても、ほぼ4、5枚目前後に収斂されている。上記の公式に照らせば負越7なので7枚目に落とされても仕方ないが、そこまで落ちたのは平成2年の琴ヶ梅まで遡り、過去数例だけ。8枚目以下への転落例はない。一方で3枚しか落ちなかったケースは少なくなく、やはり小結は単なる前頭0枚目ではないことを物語る。平幕の4勝でも周囲の状況によって4枚降下程度で済むことも割とあるが、やはり6、7枚落ちることが普通である。

 小結で5勝の場合はどうか。これもやはり平幕で5勝の場合よりも降下幅は小さい。2枚目に置かれたケースも平成で6例。3〜4枚目が相場となっている。(平幕でも4枚落ちくらいが相場なので、意外と5勝10敗は落ちないようだ)

     平成30年春に両小結が大きく負け越したが、5勝の貴景勝は西3枚目。4勝の阿武咲は西5枚目とした。この場所は平幕上位に上がって来そうな星の力士が多く、その下に置くべき成績と考えて当初阿武咲は東6枚目と予想したが、上記のとおり6枚目に落とすのは珍しいケースなので、8枚目8勝の魁聖と入れ替えて5枚目に留めた。結果は、ピタリ。番付は生き物とはいえ、ブレ幅が少ない事象は傾向と対策を立てると正確になる。

2.平均的な昇降幅(平幕→平幕編)

 三役昇進や十両陥落が絡むと違う要素が絡んでくるため、平幕内での昇降について、過去の例から目安を図る。まずは比較的ブレ幅の少ない負け越し力士から。

0勝

 全休のケースも含め、1つも白星がないと大きく番付は下がる。実際にどれくらい落ちるのか。公傷制度廃止後幕内に残留したケースで見ると、最初の例となった出島は9枚の転落で済んだが、13枚転落も4例となっており、負越15で15枚とは言わないまでも、なかなか手厳しい。公傷制度下でも61年に隆三杉が13枚落とされたのが1度、公傷制度以前は10枚程度の降下で安定していたのに比べても厳しい。ちなみに0勝15敗で幕内に残留したケースはない。

 

 

1勝

 

2勝

 2勝13敗というのもあまり見られない屈辱的な乱調である。大きく負け越した力士は前後の力士とのバランスを取るのが難しく、かなりブレが大きい。おなじ2勝13敗でも、21年の北勝力は12枚(1→13)落とされたが、27年の佐田の富士は7枚(2→9)で済んでいる。平均すると10枚前後の転落となる。

入幕者

筆頭10勝