大関陥落直後

    平成最後の相撲で大関陥落が決定した栃ノ心は、令和最初の場所で復帰の特例となる10勝を目指す。

この特例ができたのは、昭和40年代。従来大関陥落の条件は3場所連続負け越しだったが、2場所連続に改められた際に救済措置として設けられた。その後公傷制度が始まって大関に甘いと言われた時期もあったが、平成16年から廃止され、大きなケガがあっても「2場所連続負け越しで陥落、直後10勝で復帰」が純粋に適用されるようになった。

    『10勝』は大関として当然期待される成績であるとはいえ、連続で負け越した直後の力士に二桁勝利はなかなかのハードルだ。衰えたのではなく思わぬ怪我で休場して落ちた場合でも、5敗しか許されない中で感覚を戻すのは至難の業。ここでは、各力士の大関復帰をかけた苦闘ぶりを陥落のパターン別に振り返ってみる。


①連続休場


    不運にも、と最も同情されるケース。強かった大関が突然陥落するパターンだ。こういうケースでは、昇進のハードルが高い割に案外厳しいものだと感じさせる。横綱になっていれば長期休場できるのに、という矛盾を指摘する声も出てくる。

前の山以降、30年弱も例がなかったのは、公傷制度下では、間1場所を休めるからだろうか。公傷制度廃止後、この陥落パターンが増加している。


    1勝4敗となって休場した照ノ富士はともかく、そのほかは休場に追い込まれなければどちらに転ぶかわからない成績。となれば、翌場所10勝しても不思議ではない。実際4例で勝ち越しはしており、地力が衰えていないところは見せた。

だが、結果を見れば2場所続けて休むような状態から急に実力を発揮するのは難しいようで、翌場所復活できたのは栃東だけだ(2回)。把瑠都は1年前に優勝もして初のカド番で休場し転落、回復すれば復帰の可能性は高いと思われたが、8勝に終わってその後さらに故障して十両陥落、引退に追い込まれた。琴欧洲は休場明けに新たに肩の脱臼を負う不運。復帰場所は8勝に終わり、翌場所大崩れして引退。まだ26歳だった照ノ富士は、13、12勝と続いた後の連続途中休場だけに十分期待できたが、膝は重傷で全く相撲にならず真っ逆さまに転落。

    初陥落時の栃東は、公傷制度下も含め、カド番で全休した唯一の例だ。相撲勘を維持するためにも、8勝を目指してとりあえず出場するのが圧倒的多数だが、悪化すれば最悪。8勝で脱出できるカド番場所を休み、回復を優先して10勝を達成した貴重な成功例だが、後にも先にもその決断をした力士はいない。


    なお、最初の連続休場での陥落例となった前の山は、6勝6敗と終盤まで出場

、故障休場でもなく、ケース③に近い。


《大関復帰成功数》 2/6

具体例:前の山(6ー7)7、○栃東1(全休)10、○栃東2(3ー3)11、把瑠都(1ー2)8、琴欧洲(1ー2)8、照ノ富士(1ー5)1

○は成功。( )内は陥落した場所の勝敗。()後の数字は直後の場所の勝ち星


②8敗以上多数+休場


    過去復活例がないどころか惜しい例もない難関コース。あまり惨めな成績は残せない立場の大関が8敗以上喫している時点で地力が怪しさを露呈している上、直前で怪我まで負ったとあれば、客観的にも10勝するのは難しそうだ。過去4例ともに公傷を適用されて回復の猶予はあったが、復帰場所は10勝どころではなく、琴風と雅山は連続全休して特例復帰の権利を手放した。琴風は復帰場所で引退したが、雅山は長きに渡って活躍、5年後には大関再昇進目前まで復活した。霧島、出島もその後長く土俵を務めた。

【大関復帰成功数】0/4

具体例:琴風(3ー4)休、霧島(1ー7)5、出島(3ー3)5、雅山(3ー7)休

○は成功。( )内は陥落した場所の勝敗。()後の数字は直後の場所の勝ち星


③休場明け8敗以上


   三重ノ海、武双山の師弟と貴ノ浪、特例復帰に成功した最初の3例がいずれも同じパターンで陥落しているのは興味深い(三重ノ海は不戦敗で8敗目を喫して陥落場所途中休場)。故障明けで、体調不十分のため負け越してしまったが、長く土俵からは離れていない。状態が良くなれば復活が期待できるパターンだ。直近の栃ノ心も千秋楽で惜しくも負け越して落ちたので、状態が上がれば10勝しても不思議ではなかった。

    小錦は2勝13敗に終わったが、最初の例の大受も復帰へあと1勝の9勝。陥落直後では最長の4場所連続関脇を維持した。どのケースも公傷を挟まずに出場しており(栃ノ心は制度廃止後)、もしもう1場所休んで調整十分で臨んでいたら、カド番を脱出できていてもおかしくない。

【大関復帰成功数】4/6

具体例:大受(6ー9)9、○三重ノ海(2ー8)10、小錦(6ー9)2、○貴ノ浪1回目(6ー9)10、○武双山(5ー10)10、○栃ノ心(7ー8)10

※8敗後途中休場

○は成功。( )内は陥落した場所の勝敗。()後の数字は直後の場所の勝ち星


④連続8敗以上


    土俵上で8敗以上喫するのは大関にとって屈辱。それが2場所続くのだから、もはや末期状態と言われても仕方がない。データ上も復帰例はないが、②ほど内容は悪くない。

    昭和期は「休場は試合放棄」の名言で有名な魁傑のみだったが、近年は負けが込んでも休まないケースが増えており、平成に入り3例記録されている。いずれも長年大関を務め、慢性的な故障で衰えての連続負け越し。千代大海は、2場所とも負け越し後は休場して再調整に努めたが、限界は明らかで翌場所引退。貴ノ浪は復帰直後に7ー8、6ー9と惜しくも勝ち越せず再陥落。琴奨菊は連続で二桁黒星と陥落直前2場所の最多敗だが、一年前には優勝、陥落場所にも優勝した稀勢の里に唯一の土をつけていた。2人ともしばらく上位に残り、金星も挙げるなどそれなりに存在感を発揮している。

   致命的に衰えていなければ、調子次第でこのケースからも直後の復帰例が見られるかもしれない。


【大関復帰成功数】0/5

具体例:魁傑1回目(6,6)7、魁傑2回目(6,5)6、貴ノ浪2回目(7,6)7、千代大海(2-9、2-9※)0、琴奨菊(5,5)9

※8敗後途中休場

○は成功。( )内は陥落直前2場所の勝星。()後の数字は直後の場所の勝ち星


まとめ


    陥落直前2場所の成績が8敗以上か、7敗以内で休場かで場合分けすると、予想以上に直後に特例復帰できた事例が偏っていた。6/21という全体の数字をもって大関復帰は高いハードルだと語られがちだが、実は成功率.667のケースもある。勝率順に並べると、以下の通り。


休場後8敗以上(.667)>>連続休場(.333)>>連続8敗以上、8敗後休場(.000)


    2場所前に8敗以上を喫したケースでは復帰例がない。カド番でないのに負け越すまで出場していると、翌場所ダメならもう厳しい。早めに休場してしまった方が良いということをデータが物語っている。


    令和最初の場所で栃ノ心が14年ぶり6例目の特例復帰を決めたが、4例は平成の中頃、12〜17年に集中。大関の昇降が激しかった時期だ。平成末期から令和初頭も関脇以下の優勝が相次ぐ乱世の様相。調子によって負け越したり二桁勝ったりする実力の三役力士が多く、大関復帰も続け様に出てくるかもしれない。