綱とり物語

   72代横綱となった稀勢の里。待望の和製横綱誕生による大フィーバーの一方で、初優勝でいきなり昇進を果たしたことでその妥当性も話題となった。その昇進が過去の例と比べてどうなのかを検証しながら、歴代の昇進事例を整理する。

近年稀だった昇進パターン

 平成29年1月、稀勢の里の横綱昇進が成り、相撲ファン積年の悲願が達成された。

 「稀なる勢い」の出世で貴乃花に次ぐ年少記録で十両、幕内昇進を果たして、次代の日本人横綱として期待されたが、改名してからペースダウン。苦節12年、貴乃花の引退時と同じ30歳にしてようやく横綱に昇進した。平成の大横綱の栄光と苦闘がスッポリ収まる期間、ずっとヤキモキさせてきたのだから、本当の意味で悲願と言える。

 

 さて、今回の急展開での昇進劇。頑なに守ってきた2場所連続優勝の基準からするとやや変則的な決定。前の場所が優勝者と2差の12勝に留まっており、3場所前は10勝。前例となるのか、例外となるのか、それとも当然の昇進なのか。やはり検証だけはしておきたい。

 

Ⅰ 順当に昇進のケース

 品格力量抜群、そして2場所連続優勝またはそれに準ずる成績という内規に則って昇進は諮られる。

 まずは、2場所連続優勝またはこれに準ずることについて異論のなかったケース。あえて大関時代の実績がほぼない例を挙げた。

 以下の例を見ると、昇進直前以前の大関時代に実績がなくても、はっきりと要件を満たせば昇進していることがわかる。

1.連続優勝

昭和以降、連続優勝で昇進できなかったのは玉錦と千代の山の2例。それも横審の内規以前の話だから、現体制化では連続優勝ではすべて昇進を認められている。以下の大関での実績が短い例のほか、長く大関で不安定な成績を残していた日馬富士や琴櫻も連続優勝を引っ提げて一躍横綱へ昇進した例がある。

① 曙  平成5年1月 (9-14V-13V) 

 新大関で全休、9勝と怪我で低調だったが、3場所目を14勝で制すと、翌場所は千秋楽に1差の貴花田を退けて連覇。在位4場所で横綱に推挙された。大関での実績不十分などとケチを付けられることもなく、前年の外国人差別騒動が何だったのかわからないくらい、あっけなく初の外国人横綱が誕生。横綱空位時代を終わらせた。

② 朝青龍 平成15年1月(10-14V-14V)

 大関在位はわずか3場所。2場所連続14勝1敗で優勝しながら横審では紛糾した。これはズバリ品格を問題視されたのであって、成績には文句なかった。懸念は現実化したが、横審の留保は抑止力にはならなかった。

2.優勝と優勝同点

 連続優勝とは決定戦の結果が違うだけ。これを準ずると言わずに、何が順ずるに該当するのかというケースだが、平成5年の貴ノ花が14、13勝の好成績ながら見送られている。

① 鶴竜 平成26年3月 (9-14同-14V) ワンチャンスでも限りなく連覇に近い

 連続14勝は連続優勝者でもなかなかいない好成績。3場所前までは10勝するかしないかの目立たない大関だったが、26年1月に突如覚醒し全勝を狙う白鵬を破って決定戦に。これは敗れたが、翌場所は白鵬に雪辱して1敗のまま逃げ切り初優勝。それまでの大関としての実績の低さ(特に白鵬には未勝利だった)、優勝1回という点で、これ以上ない最低限の要件具備で昇進した例だ。しかし2場所の成績や内容には文句なし、連続14勝して昇進しなかった例はない。一方、3場所のうちに二桁に届かない場所がありながら連覇以外で昇進する初めての例となった。

3.優勝と準優勝

 白鵬が大関2場所で昇進を狙った際、14勝の優勝に続いて13勝で1差の準優勝という成績を収めたが、諮問されなかった。優勝が決まってから差を縮めた点が、優勝に準するとは評価しづらいとされたが、貴ノ花然り順番が逆ならもっと印象が違ったと思われる。

① 千代の富士  昭和56年7月(11準-13準-14V)

 大関在位わずか3場所で横綱に昇進した千代の富士。一年前には平幕だった名古屋場所で綱をつかんだ。新大関では1差、2場所目は相星で王者北の湖との楽日決戦となり敗れた。この場所は初日を落として全勝の北の湖を追う展開が続いたが、14日目に追いついてまた相星決戦。これを制して3場所ぶり2回目の優勝を決め、同時に横綱を掌中にした。2場所連続の優勝に準じる上に3場所前も千秋楽まで争ったとあっては、3場所だけの実績でも咎めようがない。

② 北勝海  昭和62年5月(11-12V-13準)

 千代の富士の弟弟子北勝海も、在位5場所で昇進。ただ勝星は若干物足りなく、後年の見送り例より劣る成績であることは確か。3月の優勝はライバル不在であっさり決まったものの最後に連敗し12勝止まり。高い次元の成績での連覇が必要と言われそうなものだが、当時はそこまでではなかった。翌場所は1敗で千秋楽を迎え全勝大乃国との千秋楽直接対決となったが、覚醒した大器の前に気迫の相撲も跳ね返された。準優勝とは言え2差をつけられてしまったが、昇進へはGOサインが出た。12勝の優勝も、2差の準優勝も内規の範囲内であるとした前例となる。

Ⅱ 変則的なケース

 Ⅰのパターンを前提として、要件にはピタリとは当てはまらないが、それと同等とみなしてよさそうなケースをパターンごとに紹介する。

1.単発の優勝で昇進チャンス

 直前2場所の成績が非常に重視されるようになった近年、前の場所で優勝かそれに近い好成績を残した力士だけが綱取りと大騒ぎされるようになった。ダークホースが抜け出してなどという昇進はありえないものとなった。ところが、29年1月の稀勢の里は、綱取りと騒がれていない中での優勝ながら満場一致で昇進となった。場所前、一部からは年間最多勝だからという声も挙がっていたが、まあ全勝でもすれば話題になるかもというくらいだった。それがアレヨアレヨという間に、13勝目を挙げて優勝が決まった時点で昇進確実となった。では、同様のケースはあったのか。昇進してもおかしくないケースはあったのか、振り返ってみたい。

① 貴ノ花 平成6年9月(14V-11-14V-11-全V) 隔場所V 昇進問題急浮上

 横綱貴乃花の誕生ほど難産だったものはない。大関2場所目で14勝の優勝。初の綱取りとなった5年7月は、千秋楽に曙を破って13勝で並び、決定戦に持ち込んだ。しかし決定戦の一方的な負けなどを理由に見送りとなり、史上最年少横綱は実現せず。翌場所は曙の全勝を阻止して12勝で繋ぐが、負け越して一旦途絶えた。6年に入って優勝-11勝(千秋楽本割で敗れ決定戦に進めず)-優勝-11勝という成績で綱取りを逃していたが、9月場所は初の全勝。直前場所の成績は弱いが、協会は横審への諮問を決めた。平成に入り、連続優勝以外で横審への諮問を行ったのは鶴竜、稀勢の里の昇進と合わせて3度だけだ。ところが横審では意見が別れ、結果見送りに。

 連続優勝に準ずる成績ではないというのが主な反対意見だった。前の場所は平幕に不覚を取り優勝争いから早々に脱落。武蔵丸に全勝優勝を許し、4大関で一番下の11勝に留まった。確かに4差の4位では優勝に準ずるとは言えない。

   賛成派は、これまでの安定感、通算優勝5回という実績を重視した。大関で年3度優勝した力士など皆無。一人横綱の曙が3場所連続休場中とはいえ、全勝なら文句なしだと。

   しかし内規には「力量品格抜群」「2場所連続優勝またはそれに準ずる成績」とあるから、これまでの実績は前者の補強材料にはなるが、後者を緩和させる要素にはならない。見送りという判断に対しては、内規にこだわり過ぎという批判が噴出した(前の場所で土俵を蹴ったり力水を吹いたりと品格面に少し問題視される点があったことも念のため書き加えておく)。

 この時点で同年の年間最多勝レースを独走。優勝争いの実績どころか5回も優勝。長期的な成績では稀勢の里よりかなり上。2場所の成績では並ぶが、前の場所3横綱を破って2差の12勝で準Vは稀勢の里が上回る。3場所では4勝も貴ノ花が上回り、優勝2回。比較すれば圧倒的に貴ノ花が有利なのだが、当時は連続優勝を求める声が強かった。稀勢の里の12勝はしっかり優勝に準ずると拾ってもらえたのだ。今の時代であれば貴ノ花も上がったのか気になるところではあるが、直前2場所の成績の比重が重すぎる内規の功罪を考えさせられる。

 

② 若乃花3 平成9年1月(11-11同-14V) 同点→優勝

 大関として3年半、20場所中14場所で二桁勝利(残りは全休1、途中休場2、一桁の勝越3)を挙げた若乃花。生涯最高とも言える抜群の内容。強さ、巧さを発揮して初日から14連勝で通算3度目の優勝を決めた。兄弟同時横綱の実現は世間が待望するところだったが、この場所で昇進という声は全く出なかった。千秋楽武蔵丸に惜敗したが、全勝していれば、でもなかった。前の場所11勝なので当然といえば当然だが、実はこれが優勝同点。しかも、勝てば優勝決定の一番を落として5人による決定戦に持ち込まれたものだ。優勝同点-優勝なら、これぞ連続優勝に準ずる成績。2場所合計の勝ち星では1つ劣るが、今回の稀勢の里の2差準V−優勝よりはずっと良い。横綱貴乃花、大関貴ノ浪ら二子山勢と当たらない大きな優位はあるにしても、今場所の稀勢の里もライバルの休場で上位戦は少ないのでそう変わらない。中期的にはこの優勝で6場所連続二桁勝利と安定。長期的に見ても、すでに2度優勝している。

 若乃花にとって不運だったのは、当時横綱昇進基準が特に厳しい時代だったこと。弟貴乃花が5年7月に同じく優勝-優勝同点、それも14-13勝で見送られており、さらに上記のとおり6年には横審に蹴られて協会も顔を潰されている。11勝4敗は、完全に綱取りが白紙に戻る成績とみなされていた。

 

③ 小錦  平成4年3月(13V-12-13V) 隔場所V 持ち越し

 ①の貴ノ花同様、3場所で2回の優勝を記録しているケース。連続ではないが、間の成績によっては綱取りの可能性が出て来るパターンだ。昇進後しばらくはスランプに陥っていた小錦だが、元年11月で初優勝を果たすと以降は安定感を増し、優勝争いに絡むことも多くなった。3年11月、13勝2敗で2年ぶり2度目の優勝。綱取りに挑んだ4年1月は中盤に3連敗して赤信号が灯り、持ち直して12勝したものの若手の貴花田、曙の後塵を拝した。その結果、綱取りは持ち越しか白紙か、はっきりしなかった。そして3月、2敗同士の大関決戦を制し優勝。優勝も3回目、いよいよ横綱という声も挙がったが、諮問はされず。外国人差別騒動が勃発した。

 前の年、初場所休場、春は9勝に終わったが、夏14勝で優勝同点、12勝、11勝、そして13勝で優勝。年間最多勝争いは2位だった。トータルの星は稀勢の里には及ばないが年後半の安定感、実績は互角以上。直前3場所なら上回るのも言うまでもないが、ポイントとなるのはやはり直前2場所だ。小錦は3位の成績で平幕の貴花田に2差、直接対決でも敗れている。結果論だが、これに勝っていれば曙も含めた巴戦になっていた。かなり惜しい1敗だった。これを落としたため、同じ前場所2差の12勝ではあるが、鶴竜に唯一の土をつけて単独2位の稀勢の里に比べると落ちる。比較すればするほど稀勢の里の直前場所、3横綱食いの12勝、特に準優勝というのはかなり価値があったようだ。3敗目を喫して一気におジャンになった空気があったが…。と同時に、12勝すれば綱取りは次に繋がるという定型句も、かなり怪しいことも見えてきた。せめて2番手であれば「優勝に準ずる」となって可能性が残るようである。

 

④玉乃島  昭和43年5月(11準-12準-12準-13V) 

 北の富士 昭和44年11月(9-12準-13V)

 あまり語られることはないが、北玉は揃って横審に蹴られている。当時としては厳しい見送りだった。先にチャンスをつかんだ玉乃島は、大関昇進後1年は二桁に届かない不振だったが、優勝者に1差の成績を3場所続けたあと、初優勝を果たした。相撲ぶりなども将来性を感じさせることから昇進を諮問したが、見送りを食った。2場所で見れば勝星は物足りないが、長いスパンで見れば横綱相当の力は見て取れる。厳しい結果になったのは、優勝の場所は柏鵬が休場で横綱戦なし。平幕に2敗。前場所は平幕の若浪に賜杯を攫われて、2場所前、3場所前は共に優勝した佐田の山に一時2差、3差をつけられてから追いすがっての1差準優勝。前半の取りこぼしが目立ったからだ。

 一方の北の富士は、クンロクを3場所続けたあとの12準-13V。先の玉乃島と直前2場所は同じで、やはり1人横綱大鵬不在時の優勝。同様の否決例があってなぜまた諮問したのかはわからないが、案の定却下されている。直前の準優勝は12勝は起点としては1差であっても弱いのか。

 

 ①③で隔場所Vと書いたが、ほかに若島津、魁皇も1場所置きに優勝している。この両者は間が9勝とか途中休場なので全く昇進の話題は出なかったが、魁皇などはその後も優勝を重ねながらこの時の実績はあまり考慮されていない。隔場所優勝というのは考えようによっては「優勝−準優勝」よりも連続優勝に近いのだから、間の場所はせめて二桁なら両方の優勝を繋げて見てほしい。単発の優勝でも、直前2,3場所の成績がそこそこで、以前に実績がある大関なら昇進の話題が出ても良いと思う。稀勢の里の昇進は好例として残るか。

 

※ 千代の山 8−14V

 内規ができる以前、年3場所の時代なのでごく参考にしかならないが、単発の優勝で昇進と言えば千代の山が思い浮かぶ。前の場所8勝7敗の不成績ながら、14勝1敗で優勝するといきなり横綱に推挙された。今ならまずあり得ないが、前年に新大関から2場所連続優勝を果たしながら、前田山の騒動などで折り悪く昇進が見送られていた伏線がある。3度目の優勝で実績十分ということになった。厳しい見送りがあった場合、直後の再挑戦は精神的にも厳しく、好成績を続けるのは難しい。しばらくは実績をプールして、次の活躍時に参考とするような考え方はあってもいい。

 

2.長期好成績(直前2場所優勝なし)

 年間最多勝を獲得した実績を評価した点で画期的だった今回の昇進。直前2場所だけに拘らずに評価して昇進したケース、昇進してもおかしくなかったケースを挙げた。

 稀勢の里の3場所36勝は昇進には物足りない星で、ここで挙げた力士たちより見劣りする。加えて多くの力士は1年以上前にしても優勝経験があったり、横綱の声がかかりそうな場所もあった。対して稀勢の里は優勝経験なく、13勝を連続したのが1回だけあるが、惜しい見送りはない。柏戸と双羽黒以外には、直前の優勝という武器で何とか対抗できる実績なのがよく分かる。

 

① 旭富士(12準-14同-13準-13同) 年間最多勝明け、長期好成績、優勝なし

 年間最多勝を獲った大関を挙げる。80勝をマークした6年の貴乃花は翌初場所昇進している。3年の霧島もいるが、大荒れの年でわずか61勝。平均10勝ではむしろマイナス評価である。浮上するのが63年の旭富士だ。同年は千代の富士が53連勝を記録して独走した印象だが、全休があった。それでも70勝5敗15休だから可能性はあったが、それを許さない安定感を発揮した大関がいた。

 実際、初場所は14勝で初優勝を記録。毎場所綱取りを期待する声はあった。春は2横綱の後塵を拝すも1差の12勝で翌場所に可能性を残し、その後も千代の富士に食い下がるものの尽く直接対決で優勝決定を許している。この間は昇進の声をかけるタイミングがなかったが、九州を12勝し年間最多勝を引っ提げて迎えた翌年初場所。14戦全勝の北勝海を破って決定戦に持ち込んだ。しかし決定戦は敗れて1年ぶりの優勝はならず。翌場所は2敗で追走も14日目に全勝千代の富士が脱臼しながらの投げで優勝を決めてしまい、千秋楽で一矢報いるチャンスも逸した。14-13とハイレベルな成績を残してあとは優勝、という夏場所。13勝2敗と文句ない成績だが、初場所に続いて北勝海との決定戦で敗れた。するとその内容が悪いという声もあり、横綱昇進の諮問すらされなかった。

 背景には優勝なしで上げて不祥事で廃業した双羽黒の件があると言われるが、それと比較してもかなり好成績。これを見送ったことで、2場所連続優勝の内規に偏重した判断が決定付けられ、横綱不毛の時代を招いたというのが一般的な見方だ。年間最多勝の実績や直前3場所以上を考慮しようという空気もなく、直前に優勝がない、印象が弱いと判断された(稽古不足という評価がついて回り、後の昇進時も危うかった)。

 稀勢の里と比較すると直前場所以外はすべて上回っており、成績以外の要素が大きく影響していると見る。

 

② 大乃国(全V-12準-13準) 綱取り持ち越し、1差で昇進。

 双羽黒の昇進より後だが、廃業よりは前という微妙な時期に昇進したのが大乃国。直前6場所は二桁2回とぱっとしなかった大乃国だが、62年5月に突然開花し、全勝で初優勝を飾る。翌場所は14日目に全勝千代の富士を破って優勝争いを千秋楽まで持ち込んだが、千秋楽北勝海に屈し12勝どまり。昇進問題は翌場所に持ち越された。勝負の秋場所小錦戦で2敗目を喫すも、14日目に全勝北勝海を破り優勝決定を阻止。この場所は千代の富士が休んだこともあって千秋楽は平幕の逆鉾。これを破って13勝に乗せ、決定戦には進めなかったものの、直前3場所千秋楽まで優勝を争う好成績で横綱に推挙された。これが直前2場所に優勝のない横綱昇進の最後の例だが、3場所前の全勝優勝を起点に「綱取り」のプレッシャーを2場所も耐え抜いての連続準優勝。いずれも優勝者に唯一の黒星をつけたとあって、文句のない昇進だろう。「綱取り場所で12番して翌場所に持ち越し」というケースはその後も何度かあったが、成功例は1つもない(先述のように小錦は翌場所優勝したが見送られている)。「連続優勝に準ずる成績」を適切に解釈して適用した好例と思っている。

 

③ 若三杉(13準-13同-14同)、三重ノ海(10-13準-14同)、そして双羽黒   

 全く優勝が絡まないケース

 続いて昭和50年代前半、直前2場所どころか1年間にも優勝はないが、昇進した2例を紹介する。

 大関2場所目で初優勝を果たした若三杉だが、その後は3場所連続10勝に留まる。53年1月、1差で迎えた13日目に全勝優勝する北の湖との直接対決に屈したが13勝をマーク。続く3月は2敗で迎えた千秋楽、輪島休場のため結びの一番で北の湖との1差対決となり雪辱。決定戦に持ち込んだが、連勝はできなかった。逆転優勝なら綱取りもあり得たかもしれないが、翌場所で綱取りを目指すことになった。勝負の5月、10日目三重ノ海に土をつけられたが、両横綱を連破して14勝1敗。しかしここでも北の湖が立ちはだかり、決定戦で屈した。

 3場所連続で北の湖の牙城に跳ね返されたとはいえ、本割では2勝1敗。同い年の若き王者との通算対戦成績もこの時点でタイ。優勝こそないが、直前3場所で見れば成績は昇進者の中でもかなり上位。当時の基準で総合的に判断すれば昇進は順当だった。北の湖と渡り合った3場所、優勝できなかった点は勝負弱さとして残るが、不調の輪島に代わり、最強北の湖の対抗馬となった活躍は横綱に値する。

 三重ノ海の場合は、将来性豊かな若三杉と違い、ロートル大関とみなされていた31歳。わずか3場所で大関から陥落。1場所で復帰したものの、復帰後8場所でカド番2回、二桁勝利もなし。9場所目にしてやっと10勝して初めて張出を脱出という体たらく。ところがその後は安定して二桁勝ち、ずっと東の正大関を堅守。さらに54年5月13勝の準優勝、7月は14勝で決定戦進出と大活躍。あまり語られないが、雑誌大相撲中継によれば、この時名古屋場所史上最高視聴率を記録した。

 直前2場所だけ見ればそれなりの成績に見えるが、12勝以上の好成績は、初優勝で大関を掴んだ50年11月以来。実績や将来性という点についてはかなり怪しい。ただ、1場所目の準優勝では北の湖に土をつけ、若乃花との1差対決には敗れたが輪島に勝った。昇進場所は輪島に千秋楽対決で並び、決定戦では逆転はならずというもの。対戦した3横綱2大関をすべて破った強さは、横綱と遜色なしという印象を与えるには十分だった。大関時代の優勝もなく最も甘い部類の昇進だったが、第4の横綱として2場所目から連覇、初の全勝も飾り、審判部の顔は立った。

 この2例で少しハードルが下がったか、昭和61年には照国以来となる優勝経験のない横綱、双羽黒が誕生する。大関在位はわずか4場所、10、10、12(準)、14(同)。直前2場所は相星決戦と決定戦で千代の富士に敗れて優勝を逃した。連続優勝には三重ノ海より近いが、勝利数は劣る。大関としての実績もまだまだだが、高い将来性、1人横綱を解消したいという思惑もあって、やや強引に昇進が決まった。素質を見抜く審判部の眼自体は間違っているわけではない。こういうときに横審が機能して拙速だの精神面がなど煩いことを言う必要があったと思うが、それは結果論か。

 

④柏戸・玉乃島  優勝絡まず。好敵手と互角の評価を得て同時昇進。

 柏鵬、北玉の一方の雄。二人で次の時代を作ると期待されたライバルの一方が連続優勝を果たし、これと接戦を演じた者も同時昇進となった2例。

 昭和35年9月に大関昇進した柏戸は、3場所目にして初優勝。前の場所で大鵬に優勝を許し、番付でも追いつかれていた。翌場所は大鵬との1敗対決を制したが、その後の連敗が響いて12勝3敗。千秋楽優勝した朝潮を破って結果的に1差とするが、横綱の声は掛からなかった。その後も2桁は外さないが、優勝には届かず。7月には大鵬に大関初優勝を許し、9月には大鵬に雪辱し決定戦に持ち込むが、優勝決定巴戦では大鵬にうっちゃられ連覇を許した。3場所の星だけ見ると、10,11,12と大関の昇進基準程度の勝ち星。優勝争いも直前の同点のみ。対する大鵬は連続優勝で文句なしの最年少横綱昇進だが、星の上では11,13,12と3勝の差。大差はない。一度惜しい綱取りのチャンスがあったこと、対戦成績ではリードしていることを加味すれば、1年ほどの大関時代を通じて大鵬と互角という評価は確かにできる。栃若に続く柏鵬時代到来という世間のムードに押し上げられて同時昇進に至った。その後は大鵬に大きく水を開けられ、休場勝ちではあったが曲がりなりにも8年弱綱を張って大鵬戦も健闘。昇進後4度の優勝も果たしており横綱にした判断は間違っていないが、本当に昇進相当の成績は、42年に13勝準V、14勝Vと続けた時まで待たないといけない。長期休場も多かったので、もしこの機会を逃していたら、怪我をおして騙し騙し出続けて並の大関で終わっていたかもしれない。

 対して玉乃島は3年半ほど大関で実績を積んだ末の昇進。2場所前に優勝したが、翌場所は10勝。現在なら一度綱取りが白紙に戻っていそうなものだ。直前場所は本割で勝って決定戦に持ち込んだが、北の富士に敗れて連覇を許した。横綱昇進確実の北の富士に比べ、大関時代を通じて安定していたのは玉乃島。北の富士は前の場所の優勝時に横審で却下を食っているように、2年ほど11勝以下に留まっていたりカド番も経験していることなど印象は良くない。直前3場所で比べると北の富士12準,13V,13V、玉乃島13V,10,13同となり、柏鵬の昇進時よりも拮抗。同時昇進の運びとなった。その後の成績を見ると昇進は時間の問題で無理に上げなくても良かったかもしれないが、同時昇進でなければ、北玉が大鵬に対抗する密度の濃い3横綱時代がもっと短くなっていた。盛り上げに一役買ったといえるだろう。

 どちらも近年からすれば甘い昇進ということになるが、上げた結果は悪いものではなかった。むしろ柏戸にとっては絶好のタイミングと言えるかもしれない。昇進時には、直前場所の優勝など強い印象がほしいところだが、優勝同点でも優勝者との同時昇進となれば一気にムードが高まる。乱用はよくないが、きちんと中長期の成績や総合力を評価するのであれば、「昇進者と互角」という理屈は残しておきたい切り札である。

3.弱めの連覇 ※参考

① 若乃花3(10-14V-12V) 12勝の優勝

 大関在位も5年目に入った若乃花。上にも書いたとおり成績的にも名大関と評価されていたが、前年の綱取り場所で大怪我を負い、しばらく二桁には乗せるものの優勝争いの圏外が続いた。しかし10年春場所では休場中の貴乃花の穴を埋める活躍で4度目の優勝。成績は14勝1敗だが、連敗スタートから猛追する曙に敗れて1差に迫られ、後半は引き技が目立って千秋楽は既に負け越している琴錦相手に立合い変化で勝って辛くも逃げ切り。9年初場所の優勝に比べるとだいぶ質は低かった。それでも好成績での優勝、今度こそとの期待を背負った夏場所だったが、序盤で平幕に2敗。11日目に3敗目を喫して絶望的なムードだったが、この場所は大荒れで10人が横一線でまだトップ。他が脱落していき、唯一3敗を死守した若乃花に2場所連続の賜杯が転がり込んだ。直前場所が幸運にも恵まれた低レベルの優勝となったが、これで通算5回目の優勝という実績は十分。兄弟横綱を待望する世論の後押しをあえて封じる反対意見もあまりなく、比較的スムーズに昇進が決まった。

 ただ、貴乃花らが不振の間の混戦を辛うじて制した優勝に、漠然とした不安感は拭えず、案の定というべきか横綱として長い活躍はできず、優勝することなくわずか2年弱で土俵を去った。名大関で終わったほうが良かったという声も少なからず聞かれた。

 稀勢の里とは、3場所の成績が同じ。その順番と、12勝の場所が優勝か2差の準優勝かという違いがある。どの並びにしても、若乃花の12勝が優勝でなかったら昇進はしていないことは確実。同点で見送りなら同情論は出ただろうが、それが大勢を占めたとは考えにくい。ちなみに若乃花が千秋楽敗れていれば、11勝で平幕琴錦と決定戦だった。これに勝って14−11の連覇であればどういう結論になっただろう。武蔵丸が11勝で優勝したときには綱取りの起点とは見なされなかった気がするが、実際に連続優勝という実績が出た時に、審判部として理事会の招集を要請しないという結論は出せるのか、気になるところである。

 

② 武蔵丸(8-13V-13V) 連続13勝、3場所前8勝

 若乃花昇進から1年後。史上最長タイの大関在位32場所目にして、武蔵丸が横綱に昇進した。全2場所を連続優勝、満場一致で推挙されたのだが、一部で甘いとする声もあった。というのも、2場所の成績は26勝で若乃花と同じ。直前の場所こそ13勝で上回って印象が良いが、圧倒的な強さを感じさせるものでもなかった。2場所とも中日までに2敗。春場所は貴ノ浪との相星決戦、夏は曙との1差対決を制して千秋楽で優勝を決めた。この2場所は上位陣に休場が相次ぎ、自分以外に3横綱2大関がいながら、横綱戦は最後の曙戦のみ、大関戦も3番だけだった。特に天敵だった貴乃花の居ない間ということで、幾分価値が下がった。さらに3場所前は千秋楽で何とか勝ち越し。脆さを露呈したばかりだった。

 ただ、休場者の多さは責められないし、穴を埋める役割を果たしたとも言える。また大関32場所で一度もカド番がなく、3場所前が唯一とも言える負け越しのピンチ。優勝も全勝1回を含む5度目となり、これは大関の回数ではない。実績という点では何ら問題がない。

 実績十分の大関がようやく連続優勝というハードルを超えたという点でまさに昇進基準の趣旨を満たすケースである。身体の強さは実績で証明済、2場所連続で優勝のかかる大一番を制したことで勝負弱いという汚名も返上、心身のタフさを備えて横綱にふさわしいと考えて何の問題もないだろう。

 連続13勝の優勝の上2場所前が8勝だから星の上では多くの見送り例より劣ることになる。仮に13V-8-13Vだったら箸にも棒にもかからない。主に直前2場所で判断するやり方は、綱取りという環境で優勝することに一定の意味があり、3場所連続の好成績を期待する方が濃くかもしれないが、13V-12-13Vで見送られた小錦との比較でいうと矛盾も生じる。

 

 連続優勝というのは横綱でも限られた者しか記録していない至難の業。綱取りのプレッシャーも加わる中、実際に連続優勝という実績を出した者にもはや大関は役不足、昇進相当となるのは当然だ。内容や勝星云々は建前上言わざるを得ないとしても、よっぽど問題がなければストップをかけられないことは理解できる。

Ⅲ まとめ

(過去の例を振り返って)

・横綱昇進とは、タイミングの問題が大きい。

・「力量品格抜群」は定性的な評価で、中長期的な実績もここで力量の評価に加味。

・「2場所連続優勝またはそれに準ずる成績」は、昇進のタイミングを示すものと解する。(期が熟したと考えられる場合の一例であって、直前の優勝+中期の好成績・安定感、優勝を起点とした好成績の連続、僅差の優勝争いと中期の好成績・他の昇進候補との実力伯仲)

・両方を具備することが必要

 

(新横綱稀勢の里の昇進について)

・2場所連続優勝に準ずる成績にはギリギリ当てはまる。

・平成期の昇進事例からすると異端

・昭和期の昇進事例からしても直前だけ見ると強くないが、十分あり得る。

・2,3場所の直近成績偏重から、総合的な実績を重視する昇進基準への成熟の契機か。

 

(私案)

・審判部は、両方の基準を厳格に捉える必要はなく、この基準を広めに解釈して推薦できる力量があると判断すれば諮問すれば良い。結果横審で否決されても、それは違う要素での審査も含まれているのだから、理事会や審判部の恥ではない。

・基準を定めた横審の方で、これに該当するかを議論して反対する根拠を挙げる。

・全会一致に至らないケースは差戻しという決定をして、再度協会で判断させるのもよいのでは?諮問しないで文句を言われるくらいなら、微妙なケースは上げてみて、反対意見も出るようであれば再検討する。その方が納得感が高い。

・北玉の昇進が横審で見送られた40年代前半のような運用がベターと考える。