関取発掘


現役は前年の幕内、名力士は三役以上を中心に取り上げた本サイトの力士データでは漏れてしまうような渋い力士を気まぐれに発掘する新連載。土俵のサイドストーリー、大相撲裏面史として、他のコーナーを補完するものにしたい。

1 大剛(二代目大豪)

0)はじめに

 横綱、大関になれるのは一握り。三役、三賞に名を刻むのも至難の業。圧倒的多数の関取の名前は、あっという間に埋もれてしまう。このシリーズでは、雑誌の特集でも取り上げられることはないだろう、非大成力士たちにスポットを当てる。

1)発掘!千代キラー

 発掘作業は、言わずと知れた神サイト、相撲レファレンス様を徘徊することから始まる。昭和の三賞って割と甘いなぁと、数場所を眺めているうち、ふと十両に目をやると、板倉という力士が目に入った。幼少期からのわがアイドル・千代の富士の生涯星取りは何度も見ていたので、若き日に何度か負けている相手として覚えていた。対戦成績を見てみると…なんと6勝1敗。7回も顔を合わせていたことに驚いたが、圧倒している。しかし、公式な記録に残る幕内対戦は、ゼロ。少なくとも一方が十両での対戦だったので、記録に残らないのだ。大横綱にも意外な苦手がいた。

そんな影の千代キラーの土俵人生を掘り返す。

 2)改名を繰り返し本名で新十両

 まず、十両で本名のまま取っているのが気になるところ。多くが新十両のタイミングではしこ名をつけるが、出世の早い力士や、由緒あるシコ名を継がせたい期待の力士が本名で取ることがある。稀勢の里もそうだった。もしくは、本人の希望で本名で取るパターン。しかし、板倉の場合は入門当初と幕下時代にしこ名をもらっているのに、2度も返上して本名に戻り、新十両に至った。だいたい改名の多い力士はそれだけ停滞しているからなのだが、この人ものたりのたりとした出世ぶり。41年に花籠親方から下の名前の久光を貰って中学生力士として初土俵を踏むが、なぜか地方場所しか出場せず、序二段までいったものの前相撲から出直し。当時は中学生もフルに出て良いはずだが、何かあったのか?再出世では板倉で取り、2年ほどで三段目に。ここで宮桜と改名すると幕下に昇進した。

 17歳だからここまでは順調。だがここから5年余り、一進一退を繰り返し、また板倉に戻す。この頃輪島が横綱に昇進し、弓取りを務めるようになる。

   するとまた上昇気流に乗って幕下上位へ、50年1月、筆頭で3連敗の後、不戦勝で連敗を止めるとそこから連勝して勝ち越し、苦節10年、23歳で新十両を果たした。

昭和40年代の花籠部屋は、30年代の若乃花時代に活躍した力士が引退、一部は独立した二子山に移籍して、やや層が薄くなった。残留させた龍虎が頑張っていたが、これに続く生え抜きとして、板倉も期待されたはずだ。しかし停滞するうちに輪島、荒瀬と大学経験者があっという間に出世し、大学中退の魁傑と共に第2の花籠部屋黄金期を築いた。師匠の目もそちらに向いただろうし、長い下積みを耐えてきた板倉らたたき上げ力士は悔しい思いをしただろうが、よく腐らず関取の座を掴んだと讃えたい。改名作戦も毎回功を奏している。

3)弓取り関取、大豪を継ぐが...

 異例ながら弓取りを続けつつ挑んだ50年3月の新十両場所、先場所同様序盤負けが込んだが、中盤から9連勝で場所を終えた。これで気を良くしたか、連続で勝ち越して4枚目に、ここでも五分の星から、終盤隆ノ里との入れ替え戦に勝つなど3連勝して9勝。幕内から陥落は5人、この場所十両上位は5人の9勝がいて、板倉は5番手で滑り込むものと思われた。この時幕内優勝もした兄弟子大豪の四股名を与えられた。

  ところが、発表された新番付に復活した偉大な四股名は、二段目の右端。他の4人は上がったのに、5人目の座は10枚目で優勝の天龍に行ったのだ。因みに先代大豪は、最終場所番付削減の煽りで10年近く務めた幕内から落とされ、土俵に上がらないまま引退した。幕内で大豪と改名したので、十両力士大豪は実質存在しなかったのだが、不運が繰り返していきなり存在させてしまったのだ。そんな呪いにも負けず、見事勝ち越して幕内大豪を復活させた。

4)4度昇進も全て二桁黒星、以後不運に泣く

 だが、幕内は甘くない。千代の富士には勝って休場に追い込んだが、4勝に終わり転落。その後エレベーター力士となるが、幕内では二桁黒星を繰り返した。52年7月、4度目の入幕も3勝12敗と崩れと、以降幕内との縁が切れた。5枚目10勝で昇進次点、西筆頭で迎えた53年7月は勝ち越し、幕内から4人も落ちてきたのに、4枚目10勝にも抜かれ、まさかの据え置き。東にも回れなかった。連続で不運を味わった挙句、翌場所6勝に終わると、西7枚目まで落とされた。気の毒過ぎるが、十両上位にはありがちだ。

   停滞すれば改名。5匹目のドジョウを狙って大剛と漢字を改めた。あまり長く大豪の名を十両に置いておけないとの遠慮もあっただろう。だが、十両上位で頑張るものの、番付運は上向かず、筆頭5勝で7枚落ち、東2枚目勝ち越して据え置き、翌場所7番で3枚落ち。徐々に番付を下げる中でも、8枚目な勝ち越しで東へ、翌場所6番で5枚落ち。十両どん尻に落とされて負け越し、初の幕下陥落。1場所で復帰したが、3勝に終わると潔く現役を退いた。29歳だからまだまだやれそうだが、幕内経験僅かの力士でも、十両の座が守れ抜くなると30歳前でも引退した時代だった。

5)地味ながらネタ多し

 中学生だった入門当初を除くと休みなし。ほとんど大勝ちも大負けもなく、長く弓取りとして、十両上位で取った。改名を繰り返したが、長身ながら大豪ほど豪快な相撲は取らず、ややあやかるくらいの大剛に、落ち着くべきところに落ち着いた感じだ。借り株で4名跡渡り歩き、引退してからも改名が多かったが、麒麟児の北陣襲名時に廃業。昭和の終わりに角界を去った。

 星取表をざっと見るといかにも地味な土俵人生だが、よくよく見ると意外にネタになる要素を持っている。のちに皇牙が十両で弓取りを続けた時に名前が上がったが、改名歴、番付運、そして意外な千代の富士キラーぶり。寄り切り5,吊り出し1と、軽量の相手を懐の深い大きな相撲で封じ込めたことが窺える。最後の対戦は、千代の富士が右肩脱臼から復活して再入幕を果たした54年7月。これも制してこの場所勝越したが、その後も十両暮らしが続いて、遂に幕内同士で対戦することはなかった。

 連載1回目にして、興味深い題材に巡り会えた。

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