勝利数記録


通算勝利数

白鵬が史上1位の1048勝

 記録という記録を塗り替えた大横綱白鵬が、ついに通算勝利記録第一位を記録した。

 若くして年間勝利数、連勝記録といった短期的な記録を打ち立てた。その頃と比べたらなどと言われながらも大横綱級の強さを持続的に発揮し、数年前から長期的な記録である通算記録の更新モードに入った。不滅と言われた優勝回数32回もあっけなくクリア。最強力士の称号をほしいままにした。

 これら大記録は、横綱でないと達成できない記録の数々だが、一番時間がかかる記録は、高いレベルでなくても勝ちを積み上げれば到達できる勝利数。横綱在位史上最長の北の湖が樹立したが、何と最高位小結の大潮が40歳まで取ってこれを上回り964とした。通算なので、十両や幕下で記録した勝ちも含まれている。

 これを横綱の手に取り戻したのが千代の富士で、息の長い活躍で1000勝の大台に初めて乗せた。これも不滅と言われた記録だが、20年後に更新する力士が現れた。大関在位史上1位タイの魁皇だ。最後まで大関として取った魁皇の対戦相手は横綱と変わらないので価値はあるが、最後の何年かは勝ち越しがやっとの場所がほとんど。記録更新した場所も、初日から3連敗するなど苦しみ、ようやく1045勝に辿り着くと、2つ星を上乗せして同場所中引退した。史上初めて幕内を100場所も務めた魁皇だからこそできた記録かとも思われたが、それから6年、ごくごく順調に横綱らしい成績を続けてきた白鵬が、7歳も若くして到達、抜き去った。

 

 この記録は、年6場所となったからこそこういう数字にまで達するのであって、それ以前の力士は圧倒的に不利なため比較できない。あくまで昭和33年以降に入門した力士で競う記録だ。

 勝利数を増やすには、まず出場数を確保する必要がある。そのため、15歳中卒の力士より7年もスタート年齢が遅い大卒力士が上位にランクインするのは至難の業。40歳くらいまで関取を維持すればチャンスも出てくるが、横綱・大関にとってはこれが難しい。弱ければ落ちて下位で取れる関脇以下の力士と違って、その地位に見合った成績を残さないと現役を続けられない上位陣は、30代後半まで在位するのはまれだ。

 また、休場すると全く勝星は増えないわけだから、休まない丈夫さも求められる。幕下以下に落ちては1場所7番しか取れないから、最低十両は維持する実力も求められる。

    その上で、できる限り高い勝率で勝ち星を積み重ねた先に通算勝利の上位入りが待っている。

 横綱を長く張る持続力を武器に記録を残したのが、白鵬、千代の富士、北の湖、大鵬。20年にも渡る現役期間を活かして達成したのが、魁皇、大潮。さらに関脇旭天鵬と若の里が、30歳で引退した大鵬を上回っている。この6,7位で並ぶ旭天鵬、若の里は初土俵と最終場所が全く同じというのが面白く、完全に比較できる。大関級と言われた若の里が実績では上回るが休場が多く、無事此れ名馬型の旭天鵬が通算勝利では13勝上回っている。

※大潮 憲司  異色の通算勝利上位力士

 小結を1場所務めたのが最高位という力士が、北の湖、大鵬という大横綱を超えて史上1位の記録を作った点で特異。小技に頼らず左四つ寄りを得意とした。

 昭和38年時津風部屋に入門、各段優勝はないが大崩れもせず、幕下上位に上がってから3年あまりかかり、44年新十両。46年新入幕を果たすが、大負けしないものの3場所と持たず、十両との往復が続く。10回目の入幕となった51年からようやく定着。52年は地元福岡で3大関を破る活躍で初めて上位対戦圏で勝越し、翌53年初場所新小結となるが、これが唯一の三役経験となる。夏以降調子を崩し、十両陥落、さらに故障で幕下まで陥落した。復帰まで時間がかかったが、3度めの十両優勝で56年1月に約2年ぶりの入幕。中位が主戦場となったが、57年九州では場所後大関に昇進する若島津を優勝争いから脱落させる黒星をつけ、10勝で敢闘賞を得る。その前後の場所で北の湖から2金星を獲得しているが、これが最後の幕内勝ち越しとなる。以降負け越しが続き十両陥落。1度復帰するが、59年7月以降は十両暮らしが続いた。62年にはついに幕下陥落。それでも現役を続け、1場所で復帰したが再度陥落。63年1月は2勝5敗と負け越して引退した。40歳。

 通算出場回数はいまだ1位。在位場所数156は後に破られたが、ほとんど関取経験のない力士によるもの。長く十両以上で取った大潮の出場回数はそうそう破られそうにない。幕内51場所に対して十両は55場所と上回り、これは史上1位。幕内昇進は13回でこれも1位。力が落ちてから幕内十両を往復する力士は多いが、定着までに10回を数えたのも珍しい。

 幕内での10勝が3度だけと地味だったが、生涯を通じて大勝ち大負けの少なさは変わらず。負け越しの場所でもせっせと勝ち星を重ね、休むことなく長年関取で15日間取り続けることができた。幕内在位は魁皇の半分だが、十両を足せば場所数は変わらないので、影響は少なかった。

 できるだけ早く関取となり、波を少なくして平均7勝程度で推移、大きな故障なく40歳近くまで取れば、同様に通算勝利を重ねる力士は出てもおかしくない。旭天鵬は引退時幕内で、もし十両でも続けていれば大潮の記録を更新していただろう。もう少し十両に上がるのが早ければ1000勝も夢ではなかった。力士寿命が伸びたと言われる近年、こういう名物力士が誕生する可能性は十分あると期待している。

幕内勝利数

 表舞台での活躍ぶりに限定されるため、スピード出世の力士ほど有利になる。10代で幕内に達すればかなり有利になるが、大卒力士でも、付出だったり各段優勝を重ねて1年ほどで出世すれば、幕内に達する年齢差は小さくなり、通算勝利数ほど不利にはならない。

 ダントツだった大鵬の746勝という記録を、最年少記録で出世して連続勝ち越し記録も作った北の湖が上回り804勝。大関昇進の遅かった千代の富士は通算勝利数に比べて幕内勝利数では不利を被ったが、36歳直前まで君臨してついに更新。807勝とした。北の湖は18歳から32歳まで幕内に在位したが、最後の3年ほど全休が多く、それがなければ1位を守っていただろう。

 大横綱の独壇場だったこの記録を更新したのは、大関の魁皇。千代の富士よりも幕内定着が早く、大関だからこそ長期休場がなく、38歳まで現役を続けられたことで1位に浮上。浮上は通算勝利数よりも早く、879勝と大幅に更新した。

 しかしこれも白鵬が抜き去る。19歳で入幕した白鵬は、当初からハイペースで白星を稼ぎ、横綱になって9割近い勝率を維持してさらに加速。ほとんど休場もなく、みるみる星を積み上げていった。そして平成27年5月に記録を更新。まだ31歳だった。ついに達成といった感は全くなく、まさに通過点といった余裕を見せる。まだ底を見せない横綱は、はるか高みまで行ってしまいそうだ。通算勝利に続いて幕内1000勝の達成も有力だ。

 

    ちなみに、プロ野球でいうところの通算記録、勝利数や安打数などは一軍だけの記録なので、一流力士を通算記録で測るなら、幕内勝利数が近いだろう。投手200勝(または250セーブ)、野手2000安打が名球会入りの条件だが、同様の基準を作るなら幕内勝利500勝というところ。名球会が60名以上いるのに対して、500勝をクリアしているのはわずか30名あまり。厳しい基準に対してダブルスコアを記録しようとしている白鵬の数字は、400勝や4000安打に値する。驚異的であることに気づく。

 

☆幕内勝利数上位者

 トップ5は、大横綱に長寿大関魁皇が食い込む形。それ以降が色々なタイプが入り乱れて面白い。5位大鵬に40勝差で武蔵丸、貴乃花、最高位関脇ではトップの旭天鵬が僅差で続いていたが、日馬富士と稀勢の里が拮抗しながら星を積み重ね、これらを抜いて6,7位に上がりそうだ。

 トップ10に続くのは、昭和の長寿力士代表高見山。平成に入るまでは、北の湖、大鵬に続く3位だった。平成以降、息の長い活躍をする力士が多く、これ以降もほぼ平成の力士が占める。12位安美錦は怪我で数場所十両で低迷中だが、復活して記録を伸ばせるか。高見山とは20差だ。10位〜12位の3人は、入門が18歳以降とやや遅いが(旭天鵬は25歳になってようやく定着)、40歳前後まで幕内で活躍して記録を伸ばした。18位若の里、19位の琴ノ若も遅咲きの力士。

 13位小錦、14位貴ノ浪、20位雅山と大関陣が登場。陥落後も幕内で活躍して記録を伸ばしたが、大関は陥落時に引退するケースが多く、意外と上位に食い込んでいない。同部屋の貴ノ浪と並ぶのが関脇安芸乃島、続いて寺尾。どちらも休場の少ない鉄人で、昭和から平成にかけて10年以上幕内を張った。

 17位に輪島。やっと横綱が出てきた。大卒力士に限れば1位。やはり入門年齢のハンデは大きいのか。20位タイに599勝の横綱柏戸で、上位20傑中横綱は10人。ただ、20位前後は僅差で、大関を陥落した琴奨菊があと1年でも頑張れば、かなり順位を挙げそうだ。

 

 

 長く現役を続けないといけないので当然だが、晩成型の力士が主役となる記録。スピード出世の力士は、白鵬、北の湖、大鵬、貴乃花、柏戸くらい。若くして横綱となり、長く綱を張って勝星を稼いでおり、上位10傑を狙うならそれしかないが、20〜30傑入りするには、早々に地位を上げてしまうよりも、じっくり地力を蓄えて休まず長く取り続ける方が記録しやすいようだ。

横綱勝利数

 横綱での勝利数。当然ながら横綱だけの比較ということになる。

 横綱の強さを比較するデータのひとつでもあるが、とくに長期的な強さ、存在感を示す指標だ。強さを示すだけなら勝率を比較したほうがよいが、長い期間活躍したことを表すには足りない。在位場所数だけでは強さや休みの数はわからない。横綱として安定して土俵に上がり、長く存在感を発揮したことを証するのが、勝利数で上位にいるということだ。

 千代の富士が北の湖を超えられなかったのがこの記録。在位場所数で4、休場数で30(2場所分)の差があることから、45勝不足した。大鵬は3勝差で上回っており、休場数はほぼ同じ、勝率はやや大鵬が上回るが、1場所だけ在位が多い分、わずかに上回った。やはり昭和戦後の三大横綱が圧倒していた勝利数の記録だが、この部門では北の湖の優位が目立つ。優勝回数では他の2人に劣るが、丈夫さと在位の長さ、安定した成績のバランスでは比較しても高レベルにあり、言い換えれば24回優勝の実績では計り知れない強さを持っていたと言える。

 その北の湖が引退して間もなくこの世に生を受けた白鵬が、これを凌駕した。昇進年齢は1歳遅いが、北の湖以上の堅牢ぶり、高勝率で走り続け、27年3月に単独1位となる671勝をマーク。一通り更新した通算勝利記録各部門の中でも、いち早くトップに立った。

 

 大鵬から150勝以上の差が開いて、5位以下は輪島、朝青龍、曙、貴乃花、柏戸が400勝台で続く。二桁の優勝回数を誇る力士達の中で、柏戸は優勝回数5回と見劣りするが、この記録を見る限り一時代を築いた横綱の一人と評価できるだろう。千代の富士と輪島を除いて23歳以下での若い横綱昇進。

 10位以下とはまた100勝以上の差が開き、登場するのが栃錦。年4場所の時代に昇進している分、5場所損しているが、5場所全勝だとしても9位との差は埋まらない。200勝台には8人がいたが、日馬富士がこれを抜き去りつつある。この9人のグループ(年6場所制前夜に199勝で引退した鏡里らを加えてもよいかもしれないが)は、北勝海の24歳を除いて20代後半での昇進。もう少し昇進が若ければ上位グループに入っていたかもしれない。

(後日更新予定)

大関勝利数

年間勝利数